ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

酸素を届けてくれた人

バリバリ在宅介護の我が家には、往診、訪問看護、訪問リハビリ、訪問入浴、医療マッサージ、介護用品レンタル、訪問歯科。。。

いろんな方々が、ピンポーンとやってきます。

自分でお風呂に入れない、通院もままならない、というレベルの

病人を抱えた家への訪問には、特別の気遣いが求められます。

 

奥に心配の種が横たわるその部屋に、晴れやかな日はどれだけあるのでしょう。

「お加減どうですか」と聞かれ、

「今日はね。。。」と、気が重いことや心配なことを告げながら、彼らを迎えます。

みな、努めて明るくやってくれます。

どこかに一線を引いている態度も共通しています。

必要以上に踏み込まないように気をつけているような感じ。

台所の流しがごちゃごちゃだったり、

洗濯物が山になっていたり、

浣腸のあとの便臭がこもっていたり、

ノーブラだったり。

いろいろありますから、ありがたいです。

 

母は、少し前から酸素の値が時々90を切るようになり、3週間ほど前から、在宅酸素療法を始めました。

主治医が指示したその日のうちに大きな酸素の機械が届いて、母の鼻の穴をロックオン!

0.25から0.5リットルを常に流しています。

それでも体を動かしたりすると値が下がったりしますが、

今はおおむね95前後を維持しています。

 

酸素を届けてくれたのは、日に焼けたショートカットの女性でした。

説明を受け、実際に設置し、

母の酸素の値が上昇して落ち着き、主治医に電話連絡を済ませ、

これでまずは一安心となったときに、そっと母の手に触り、

「お母さん、幸せですね、娘さんと一緒で。手があったかい。」

と言ったんです。

静かな声音で、それまでの説明仕事モードとは違っていました。

だからかな、つい私、

「いつもごめんね、って思ってるんです。母はもう終わりにしたいだろうなって。」

って言っちゃったんですね。

泣き決定ですよ、これ言っちゃったら。

彼女はだまって母の手をさすってます。

 

いつのまにか私達は母のベッドのわきにペタリと座り、話し込んでいました。

彼女は2年前に母親を亡くしていました。

前日まで元気に仕事をしていたそうです。

連絡を受けて駆けつけたけれど間に合わず、冷たくなり始めていたと。

母の手をあったかいと言った時の彼女はその時のことを思い出していたのでしょうか。

彼女は私の妹と同じ年で、母の実家のあった富士市の出身でした。

 

製紙工場からはき出されるけむり、くさかったよね。

田子の月の最中はおいしいよね。

おっぱい饅頭、知ってる知ってる。

本吉原の商店街に大きな手芸屋さんがあったよね。

岳南鉄道だよね。

嘘みたいに富士山が大きく見えるのよね。

中村屋の焼きそば、食べたことある?

あるある!麺が細くておいしかった!

話が尽きません。

 

母に連れられて何度も訪れたあの町で、彼女は育ったのでした。

 

ああ、ごめんなさい、長居しちゃった!

いえいえ、こちらこそ、お引止めしちゃって。

でもとっても楽しかった。

ええ、私も楽しかったです。

ありがとうございます。

ありがとうございます。

また来てくださいね。

いつでも電話してください、すぐに来ます。

 

 

酸素チューブをつけた母の顔は、病人感が増して痛々しい。

ビデオ通話で母に対面した妹が涙ぐんでました。

楽になるんだからさ、ね。

仕方ないよ。

でもね、酸素もってきてくれた人がね、と妹にも話しました。

お姉ちゃん、そんな話できてよかったね。

笑顔で通話を終えました。

 

母の指にはいつもこれがついてます。

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アマゾンで購入した、リングO2(リングオーツー)長時間用パルス沖にメーター。

パチンと指を挟むタイプより高額(19800円)ですが、精度が高く、

何より負担なくずっとつけていられて、常に酸素の値と脈を確認できます。

足の指でもOK.

 

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