ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

悪友とは

「悪友」

1 交際していてためにならない友人。悪いことを共にする仲間。⇔良友。

2  特に仲のよい友人や遊び仲間を親しんでよぶ言い方。

 

 

40年来の友人が、ガンで逝った。

 

 

物言いがきつくて、強固な自意識と意見を持ち、派手な外見、派手な生活。

自立して稼ぎ、結婚の気配なし。涙もろいがずうずうしい。

1泊旅行に出かけたら、バスルームに私物をまき散らし、

行くも食べるも寝るも起きるも、まずは自己都合を主張。

共通の友人に、「彼女との旅行はやめとき!」と助言した私の陰湿さ。

おしゃれした彼女に会って「満漢全席」と、心中つぶやく私の僻み。

 

守備範囲が広い彼女と話すのは楽しいから、

たまに一緒にご飯食べたりするんだけど、

彼女の勢いに飲まれて疲れてしまうこともあった。

 

独身、バリキャリの彼女とは年々疎遠になり、

私が子育てしている間、そう、5,6年会わないこともあった。

 

約5年前、乳がんが見つかった、と電話してきた。

抗がん剤治療中に一度会い、

復活して仕事再開したころに、また会い、

時々ラインで互いの近況を確認していた。

再発、脳転移の連絡を受け、会いに行こうとしたら、

「今体調悪いから来なくていいよ」

的外れな、でも彼女らしい反応。

 

何かできることある?と聞いたらすぐに、

退院したあとに受けられる公的サポートについて調べてほしい。

そして、自宅で死にたい、と答えた。

低音で食い気味に話すのが常だった彼女の、息が足りない小さな声。

 

彼女の母親は、「過保護で何が悪い自慢の娘じゃ!」と、顔に書いてあるような人だった。

彼女は母親の前ではずっと子供のまま、といった甘えぶり。

お父さんはいなかった。

 

そのお母さんが亡くなったとき、私は弔辞を読ませてもらった。

気楽に思い出を語ってくれればいい、と彼女は言った。

 

遊びにいくと、激しく熱いもてなしを受けたこと。

まっ黄色の海鮮カレー。ご飯が見えないくらいたっぷり。

高級ツナ缶のサラダ。後年、あん肝を初めて食べたら、ほぼ同じ味だった。

帰り際には、大きな冷蔵庫から山盛りの冷凍生桜エビが出てきて、

ビニール袋を何重にもして、持たせてくれた。

 

そんな内容の弔辞を、「格調高くはなかったけどよかったよ!」と言ってくれた。

お母さんは、数か月の短い闘病だったと聞く。

仕事をやめて実家に戻り、彼女はつききりの介護をした。

彼女が作ったお汁粉をおいしいおいしいと食べ、それが最後の食事になったと話してくれた。

 あの時、なで肩をいからせて喪主を務めた彼女を思い出す。

今やっと、彼女の思いを少し想像することが出来る。

 

80年90年余の人生を全うすることは、普通のことではないのだ。

 

面会は、かなわなかった。

ボイスメモにメッセージを録音して、彼女の弟の奥さんに送って、

耳元で再生してもらった。

微笑んだり、黙ってじっと聞いていたり、少し涙ぐんだり、そんな反応を知らせてくれた。

血圧が下がってきた、と連絡があった夜も、

母に添い寝しながらボイスメモで彼女に語りかけていた。

寝ていると思った母の目から涙がポロポロ流れた。

もちろん母も何度も会った、私の悪友。

悪友で親友だった。

もう一度、会いたかった。

 

 

 

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