昭和42年(1967年)8月の或る日。
後列、父と2歳の私。
前列真ん中が父の父、私の祖父。
祖父の両脇は、たしか祖父のいとこの、お孫さん達。
私にとって、海水浴といえば三津でした。
駿河湾の中の内浦と言う湾にあり、波も小さく、水もきれいな場所。
一緒に住んでいたこの父方の祖父は、50代で脳卒中を起こし半身に麻痺が残りました。
子供だった私の頭には、
「おじいちゃんは、ノウイッケツで、チュウブウになった」と、刻まれました。
仕事ができなくなった祖父は、家まわりの雑用や、掃除、片付け、ゴミ燃やしなどをいつもセッセとしていました。
口うるさくて、我が強く、世話好きで、噂話が大好きな、働き者。
50代で息子の世話になることになった負い目があったのか。
商才も野心もある息子に、複雑な思いがあったのか。
とにかく、折り合いの悪い親子でした。
祖父の事を母が、
「一言居士」と言ったことがありました。
―何にでも自分の意見をひとつ、言ってみなくては気のすまない人―
小さい頃はやさしいおじいちゃんって思ってたけど、
(昭和43年 三島大社 私と祖父)
大きくなってからは、うるさいなあ、って思ってました。
先日、友人の自宅でとれた夏みかんをもらって、この祖父の事を思い出したんです。
おじいちゃんは酸っぱい夏みかんが大好きで、
ごつごつしたやつを、麻痺した手で押さえ、器用にむいていました。
昨今、スーパーに並ぶのは、はっさくや甘夏で、夏みかんはあまり見ませんよね。
久しぶりに食べた夏みかんは、しっかり酸っぱくて、苦くて、はちみつ漬けにしたら、
とってもおいしくて、ひとりで食べてしまいました。
夏みかんの香りとともに、漂ってきたにおいがあります。
今ならわかる、あれは加齢臭。
上下ラクダ色のシャツを着たおじいちゃんのあの匂い。
嗅覚と記憶の結びつきにはいつも驚かされます。
もうひとつの思い出。
中学生の時、あれは週末でした。
バスケット部の練習で、口をきくのも億劫なくらいヘトヘトで帰宅した私に、
「塩むすびをにぎってくれ」と。
じゃりじゃりの塩で、おひつに残っていた冷ご飯をにぎって渡したら、
「うまいうまい。俺はこれで育った」って。
めんどくさいなあ、って思いながらにぎったおにぎりを
こんなにうれしそうに食べるなんて。
切ないような、申し訳ないような気持ちになったっけ。
お塩だけのおにぎり、おいしいですよね。
ごちそうさま。
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