ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

幽霊を待つ夜

 

4年ぶりの実家なうであります。

横浜から車を飛ばして、伊豆半島の小さな町です。

母が倒れたのが2018年4月下旬ですから、ちょうど4年です。

 

居間のカレンダーは2018年5月。

8日のところに母の字で、美容院1か月目、とあります。

すでに字が崩れています。

脳に腫瘍ができていました。

あの日、スイミングレッスンのあとの更衣室で突然言葉が出なくなり、動けなくなり搬送されたのです。

弟が先に駆けつけ、その後に私があの時も車で病院に到着しました。

CT検査室からストレッチャーに乗せられて出てきた母はちょっと照れたような顔をしていました。

 

血液検査でわかったのは、ただの髄膜腫などではなく、悪性リンパ腫の疑いがあるということ。

弟にも妹にも夫にも相談せずに、横浜に連れてきて都内の病院で治療を受けさせることを強行した私。

みな、何も言わずに協力してくれました。

 

あれから4年。

このお正月に、母は亡くなりました。

 

 

この連休に実家に行こう。

片付けと掃除をしよう。

海外にいる妹を待つつもりが、

実家の近所に住む弟が送ってくる「庭は荒れ放題」な写真にせっつかれ、

覚悟を決めて腰をあげた私です。

 

昨日あたりから胃のあたりが重苦しくて、

元気な両親の思い出しかない場所に行くのが怖かった。

夫も娘も一緒に行くよ、と言ってくれたけど、

「まずはひとりでいく」と言い張った強情な私。

 

2018年5月のカレンダーを見ても、

父愛用の湯飲みを見ても、

変らず時を刻み続けていた時計を見ても、

だいじょぶでした。

 

でも、階段でだめになりました。

 

 

2階に上がる階段の上に絵があります。

いつも傾いているんです。

今日も心のなかで、以前と同じように

(また曲がってんねえ)とつぶやきました。

「直しといて!」という母の声が台所から聞こえたとき、崩れ落ちました。

 

とりあえず一度、泣いとこう。

そしたらきっと落ち着く。

 

持ってきた豆乳を飲みました。

 

温めたかったけど、ずっと使っていない電子レンジが爆発するかもしれないと思い(そんなわけない)、そのまま飲みました。

 

 

ガスを止めてあるので、お湯は出ません。

水のシャワーは寒いので、

父と母の幽霊を待ちながら、今日はこのまま寝ます。

 

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