ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

私の昭和④ 夏みかんと塩むすび

 

昭和42年(1967年)8月の或る日。

後列、父と2歳の私。

前列真ん中が父の父、私の祖父。

祖父の両脇は、たしか祖父のいとこの、お孫さん達。

静岡県沼津市の内浦湾にある三津海水浴場。

海水浴といえば三津でした。

駿河湾の中の内浦と言う湾にあり、波も小さく、水もきれいな場所。

 

一緒に住んでいたこの父方の祖父は、50代で脳卒中を起こし半身に麻痺が残りました。

子供だった私の頭には、

「おじいちゃんは、ノウイッケツで、チュウブウになった」と、刻まれました。

 

仕事ができなくなった祖父は、家まわりの雑用や、掃除、片付け、ゴミ燃やしなどをいつもセッセとしていました。

口うるさくて、我が強く、世話好きで、噂話が大好きな、働き者。

50代で息子の世話になることになった負い目があったのか。

商才も野心もある息子に、複雑な思いがあったのか。

とにかく、折り合いの悪い親子でした。

 

祖父の事を母が、

「一言居士」と言ったことがありました。

  ―何にでも自分の意見をひとつ、言ってみなくては気のすまない人―

小さい頃はやさしいおじいちゃんって思ってたけど、

(昭和43年 三島大社 私と祖父)

大きくなってからは、うるさいなあ、って思ってました。

 

 

先日、友人の自宅でとれた夏みかんをもらって、この祖父の事を思い出したんです。

おじいちゃんは酸っぱい夏みかんが大好きで、

ごつごつしたやつを、麻痺した手で押さえ、器用にむいていました。

昨今、スーパーに並ぶのは、はっさくや甘夏で、夏みかんはあまり見ませんよね。

久しぶりに食べた夏みかんは、しっかり酸っぱくて、苦くて、はちみつ漬けにしたら、

とってもおいしくて、ひとりで食べてしまいました。

 

夏みかんの香りとともに、漂ってきたにおいがあります。

今ならわかる、あれは加齢臭。

上下ラクダ色のシャツを着たおじいちゃんのあの匂い。

嗅覚と記憶の結びつきにはいつも驚かされます。

 

もうひとつの思い出。

中学生の時、週末でした。

バスケット部の練習で、口をきくのも億劫なくらいヘトヘトで帰宅した私に、

塩むすびをにぎってくれ」と。

じゃりじゃりの塩で、おひつに残っていた冷ご飯をにぎって渡したら、

「うまいうまい。俺はこれで育った」って。

めんどくさいなあ、って思いながらにぎったおにぎりを

こんなにうれしそうに食べるなんて。

切ないような、申し訳ないような気持ちになったっけ。

 

お塩だけのおにぎり、おいしいですよね。

ごちそうさま。

 

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