1月1日の朝、両親にお茶を入れました。
父がいなくなって7年。
母がいなくなって1年。
ちょっと若めのふたりの写真。
母が亡くなる数時間前、娘が、
「じいじ来た?じいじくるよ」と優しく母にいいました。
医者である彼女だからもうすぐのサヨナラを覚悟したのか、
あんなに会いたがっていたじいじに会ってほしいと願ったのか。
あの世の存在を信じているわけではないけれど、
娘の言葉に導かれて、母は無事父に会ったんじゃないかしら。
母が元気だった頃のこと。
父とふたり、伊豆の家に暮らしていて、訪ねてきた私と、
いつものようにお茶を飲みながら、
ワタミの宅配をつまみながら、
とりとめのないおしゃべりをしていたら、
母が言いました。
「世の中に何が起きても、私とおとうさんはここでおんなじようにしている気がする」
庭の手入れに余念のない父の後ろ姿をみながら、
私はなんと答えたのか、覚えていません。
でも、ほんとにそんな気がするなー、と思ったんです。
あの時、そこから10年20年続くはずの未来を確信していたはず。
でも急に病気になったりするかもしれない、そんな不安を打ち消したような気もするのはそうなることを知る今だから。
父が、母が、予想もしなかった病に倒れ、あの家は空っぽになっちゃった。
きっとあきらめる日が来る。
寿命だった、と思える日がくる。
2人が死んで、父と母と自分がいたあの時と空間は永遠になったんだな。
お供えした緑茶を一気飲みしてから、
ひとりでお雑煮をいただきました。
鶏と鰹の出汁に、お醤油をすこうし。
出汁のうまみが舌にあたっておつゆをごくごく飲みたくなる、自慢のお雑煮です。
母から教わりました。
今年もよろしくお願いします。
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