無事、母をお骨にしました。
元気だった頃の父が実家の墓じまいをしました。
「葬式も墓もなし。お母さんを囲んでみなでおいしいものを食べてください。」
というメモを残して亡くなった父です。
さて、母はどうしようか。
元気だった頃の母が、お父さんと同じようにしてね、と言ったような気がするような。
はっきりとは覚えていません。
まだまだ元気でいてくれると思っていたんです。
家族葬を選んだ私達です。
納棺、火葬、お骨を拾って、自宅に戻るまで、
私と夫、娘2人、弟、私の友人、そして、海外の妹とその子供達をラインでつなぎながら行いました。
一番つらかったのは、母の棺が炉に入っていくときです。
必死の腹式呼吸で乗り切ろうとしましたが、
やっぱり思い出してしまったことがあります。
父の時のことです。
父の棺が炉に入るその直前、
母がフラフラと機械を操作するおじさんのところに近づいていったのです。
え、と思いながらついていったら母がおじさんに、
「本当に死んでいますか?」と聞いたのです。
おじさんは戸惑っていました。当然です。
私は震える手で母の肩を抱いて、連れ戻しました。
どうしよう、お母さんだいじょぶかな、どうしよう。
父の死を受け入れることが出来ずにいる母を、どう慰めたらいいのか。
あの時は父を亡くした悲しみよりも母のことが心配で、
兄弟3人で懸命に母を支えていた覚えがあります。
いかなる時も母をひとりにせずに、
父は人生を全うしたと母に言い続け、
母の目を盗んでは父の服や身の回りの物を母に聞かずに少しずつ、でもどんどん片付けていきました。
これはあんまりよくないかも、と思いながら、
母が父の死と対峙するのがこわかった。
無駄な抵抗だったと今はわかります。
何をどうしたところで、母は父の死を見つめ慟哭し続けていたのでしょう。
父を見送ったあの日から母が病に倒れるまでの2年、そこから4年、計6年。
私達の両親を見送る長い、でも短すぎた旅が、終わりました。
スピリチュアルに関心ゼロの私ですが、あの時、何をどう片付けても色濃く居座っていた父の面影がとうとう母を連れ去った、と思ってます。
もう、しかたないんです。
父に母を返してあげました。
父が恋しくて仕方のなかった母は、とてもとてもやさしい人なので、
私達の為に、可能な限りゆっくり、連れ去られてくれたのです。
そんな話を娘としていて、
「でもばあば、じいじに久しぶりに会ってみたら、やっぱり文句いってるかもね」
と笑いました。
うん、きっとそうね。
母が息を引き取ってから、明日は初めて何の予定もない日です。
区役所も休みだし、葬儀屋さんへの支払いも今日、済ませました。
今夜、ひとりで好きなだけ母との思い出にひたります。
さあ!目まわり保湿したし、泣くぞ!
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