母が亡くなってもうすぐ1年。
友達が、
「時間薬っていうけどどう?少し落ち着いた?」
と、母の事を聞いてくれました。
「そうなのよ。最初のうちはお母さん楽になったんだな、ってほっとするような気持があったのね。最近は、いない実感が積み重なってくるのかな、前よりきついような気がする」
「でもね、いつか死の扉を閉じるときがくるよ。受け入れるってこと。私も父が亡くなってから毎日父のこと考えるし、泣きたくなるし、泣く時もあるけど、いつのまにか受け入れられた気がする」
「お父さん亡くなってどれくらい?」
「33年。今年最後の法事」
なが!
7年前に亡くなった私の父は、
「俺は死んだら石になる」
と言っていて、
「葬式はなし。墓もなし。お母さんを囲んで皆でおいしいものを食べてください」
というメモを残した人です。
生前、元気な頃に墓じまいもしてくれました。
石になる、というのは、死んだら終わりその後はなし!ということです。
私もそう思うけど、
身近な人を亡くして、「その後」を考えたい気持ちになりました。
死んだらまたあの父や母に会えるなんて、ワクワクしかない!
友人が続けて話してくれたこと。
「父の法事の前の晩、夢を見たの。
薄緑の服と、とんがった帽子でお坊さんみたいな恰好をした父がでてきね。
法事だからこんな夢みるんだな、って思ったのよ。
でね、法事の日ね、お坊さんが同じ色の服きてて、同じような帽子かぶってたの」
死の扉が、死後の世界があるのか。
この世は知ってるけど、あの世のことは誰も知らない。
夏に、妹が帰国しました。
1日強の滞在でPCR検査をするために日本に来たような日程で、
でも絶対コメダには行きたいっていうし、
常に過呼吸な感じで移動、また移動の最中、
運転しながら、隣でリュックに首突っ込んで探し物してる彼女に唐突に聞いたんです。
「ねえ、また会えるの?」
グッと詰まった妹が顔を上げずに、
「ちょ、ちょっ、ちょっと待ってて」
と言いました。
「わかった」と答えました。
待つことにします。
もう一度お母さんに会いたい。
同じ温度で同じ渇望を持つ妹がいてうれしい。
27年前のこと。
長女を出産した日。
陣痛が始まり、病院にいました。
母が飛び込んできて、
「あ、これ、食べてもいい?」と、
私のお昼ご飯を、キラキラした顔で見つめました。
私は食べられません。
私は29歳。母は52歳。今の私より若いのね。
「まだまだだって!またくるね!がんばって!」と言って、去っていきました。
そのあと、看護師さんがやってきて、
「あの、オレンジ色の人お母さん?すごい早さで階段降りてったよ!」
はい、そういう人です。
風のように登場し、私のお昼を平らげて退場していきました。
あの日の母は、このバラと同じ色のTシャツを着ていました。
お茶請けは、鶏の醤油煮。
こってりしているので、お茶を濃いめにいれました。
お父さん、お母さん、どうぞ召し上がれ。
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