朝、甘酒で暖をとります。
年に一度だけ入荷するこの酒粕を買ってきて、お湯でふやかしトロリとなるまでかき回してぐつぐつ言わせ、アルコールを飛ばします。
生姜の絞り汁と蜂蜜たっぷりを加え、容器に入れておきます。
豆乳やアーモンドミルク、時にはお湯だけで薄めて、熱々をいただきます。
甘酒で思い出す、父方の祖母のこと。
これは、弟が生まれた時の産院での写真。
55年前です。
左の濃い色の羽織を着た人が、亡き祖母です。
後ろにいるのは、たしか近所のおばちゃん。
一緒に来てくれたんですね。
看護師さんが抱いているのは、生まれたばかりの弟。
祖母の前でふてくされているのが、私です。
母が撮影したのかな。
大好きだった、ケロヨンのシャツと赤いひだスカート。
スカートの下にはズボンをはいています。
この日の記憶はなぜか鮮明です。
母が入院していてさみしくて不機嫌だった私は、ズボンとスカート両方はいていくと言い張りました。
しぶしぶ了承してくれた祖母の困った顔。
一緒に住んでいた父方の祖父母。
玄関と台所は別で、お風呂が一緒でした。
2階の祖父母の部屋に時々泊まりに行ったりして、楽しかったな。
遊びにいくと、何かしらごちそうしてくれたっけ。
あま~い甘酒や、砂糖をたっぷりのせた半切りの青いトマト、きれいな緑色の刻み菜っ葉を混ぜ込んだ塩味のおじや。
昭和40年に生まれ、伊豆で育ちました。
祖父母との同居が普通だったあの頃。
ゆったりゆったり流れてた私の子供時代。
時には光化学スモッグの警報が出たりしていた、高度経済成長真っただ中の時代。
お米屋さんのプラッシーはいいけど、
舌を鮮やかに染めるファンタはダメよ、なんて母が言ってました。
父母に、祖父母に守られて、ぬくぬくと温かく育ててもらいました。
みんな死んじゃったな~。
今、私のそばに、父母と父方の祖父母の遺骨があります。
母方の祖父母は、富士山麓の霊園に眠っていますが、父方は、父が墓じまいをしてその後、父と祖父母のお骨を伊豆沖に散骨して、その時にそれぞれ少しずつ取っておきました。
母のお骨はまだ何もしていないので、たっぷりあります。
私が亡くなったら、全員分まとめて散骨してもらいたい。
悲しくはない、なんとなく楽しい壮大なプロジェクトです。
そうだ、弟と妹にも少し分けなくちゃ。
エンディングノートに早めに取り掛かるのは、とっても良い事ですね!
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