ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

私の昭和② おばあちゃんと甘酒

 

朝、甘酒で暖をとります。

 

年に一度だけ入荷するこの酒粕を買ってきて、お湯でふやかしトロリとなるまでかき回してぐつぐつ言わせ、アルコールを飛ばします。

生姜の絞り汁と蜂蜜たっぷりを加え、容器に入れておきます。

 

豆乳やアーモンドミルク、時にはお湯だけで薄めて、熱々をいただきます。

 

 

甘酒で思い出す、父方の祖母のこと。

 

 

これは、弟が生まれた時の産院での写真。

55年前です。

左の濃い色の羽織を着た人が、亡き祖母です。

後ろにいるのは、たしか近所のおばちゃん。

一緒に来てくれたんですね。

看護師さんが抱いているのは、生まれたばかりの弟。

祖母の前でふてくされているのが、私です。

母が撮影したのかな。

大好きだった、ケロヨンのシャツと赤いひだスカート。

スカートの下にはズボンをはいています。

この日の記憶はなぜか鮮明です。

母が入院していてさみしくて不機嫌だった私は、ズボンとスカート両方はいていくと言い張りました。

しぶしぶ了承してくれた祖母の困った顔。

 

 

一緒に住んでいた父方の祖父母。

玄関と台所は別で、お風呂が一緒でした。

2階の祖父母の部屋に時々泊まりに行ったりして、楽しかったな。

遊びにいくと、何かしらごちそうしてくれたっけ。

あま~い甘酒や、砂糖をたっぷりのせた半切りの青いトマト、きれいな緑色の刻み菜っ葉を混ぜ込んだ塩味のおじや。

 

昭和40年に生まれ、伊豆で育ちました。

祖父母との同居が普通だったあの頃。

ゆったりゆったり流れてた私の子供時代。

小学校は、旭化成醸造工場の隣でものすごい匂いがしたし、

時には光化学スモッグの警報が出たりしていた、高度経済成長真っただ中の時代。

お米屋さんのプラッシーはいいけど、

舌を鮮やかに染めるファンタはダメよ、なんて母が言ってました。

父母に、祖父母に守られて、ぬくぬくと温かく育ててもらいました。

みんな死んじゃったな~。

 

 

今、私のそばに、父母と父方の祖父母の遺骨があります。

母方の祖父母は、富士山麓の霊園に眠っていますが、父方は、父が墓じまいをしてその後、父と祖父母のお骨を伊豆沖に散骨して、その時にそれぞれ少しずつ取っておきました。

母のお骨はまだ何もしていないので、たっぷりあります。

私が亡くなったら、全員分まとめて散骨してもらいたい。

悲しくはない、なんとなく楽しい壮大なプロジェクトです。

そうだ、弟と妹にも少し分けなくちゃ。

エンディングノートに早めに取り掛かるのは、とっても良い事ですね!

 

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