母は体を動かすのが大好きでした。
社交ダンスは30年くらい習っていたし、
3年前に倒れたときは、水泳教室の帰りでした。
いつぞやの法事があって、読経が終わり立ち上がった私に、隣に座っていた夫が
「お母さん、一度も寄りかからなかったぞ!」って。
そう、母はそうなんです。
読経の間、背筋をすっと立てて、少しうつむいた首筋を見せて、椅子に浅く座っていた。
そんな母が、今は寝がえりも打てない。
時々、マッサージの真似事をします。
足から始めて、上半身、肩を押さえながら腕。
最後に横向きになってもらって、あたたかくてすべすべの背中を、直にさする。
気持ちよさげに口を少し開けて、目を閉じている母の横顔を飽かずに見つめる私。
娘達が部活などで忙しくなったころから、よく一人で実家に行きました。
到着すると、庭仕事をしている父が、
「かあさん!娘がきたよ!」と大声で母に呼びかける。
私の挨拶には顔も向けずに小さく手をあげるだけの父。
玄関をカラリと開けると、廊下の先からエプロンをした母が、トコトコと、迎えてくれます。
なぜかちょっと心配そうな顔で
「混んでた?」
「ううん、そうでもない」
「おなかすいてる?」
そして、3人で囲むお昼ご飯。
残り物と、私が作ってきたり、買ってきたおかず。
って、なんだか、穏やかな両親だった、って感じですけど、そうでもありません。
母は素敵に優しくて、でも父はかなり独特でした。
倒れてからずっと、母が恋い慕っている父です。
父が生きてるときは、父の文句バンバン言ってましたけどね。
私の娘が2年前に書いた文章を読んでください。
サークルのブログ記事の担当が回ってきたとかで、
「書くことないからじいじの事書いていい?」というので、もちろん、快諾しました。
(前後は割愛してます)
― 私のおじいちゃんは、ひと言で言えば、すごい人だったのにお酒に飲まれた人ですね。あははは。お酒はほどほどにですね。
すごく強烈な人で、たかだか隣の県なのに、私がおじいちゃんちにいくときは感謝感激大歓迎みたいな旗を作っていて、すごいもてなしをしてくれたり、声が私の三倍は大きかったり、お酒を飲んでうるさすぎるからっておばあちゃんは途中からお酒に水を混ぜていたそーです。それに気づいていたのかどーかわかりませんが、おばあちゃんはおじいちゃんが死ぬ前にそれをちゃんといってあげようと思っていたそーなんです。
でも、それも叶わずおじいちゃんは死んでしまいました。
しゃぶしゃぶを一緒にやるときも、なぜか、つゆが好きらしくて、つゆを全部飲んじゃうんですよ。足しても足しても、全部飲んじゃうんです。だから、最後はお湯でしゃぶしゃぶする感じになって、しめの雑炊はおかゆになってしまうんですよね。おじいちゃんはつゆでお腹いっぱいでおかゆは食べずに満足していましたね。
仕事の面でも、自分で会社を立ち上げて、すごく働いて、ある程度のところまで持っていったひとです。初めて家を建てたときは大工にすごく値切って、将来この恩は返すって言って安くしてもらって、40年後くらい?に、いくらかかってもいいから一軒家を建ててくれ、って言って、恩のことは何も言わずにその大工さんにすべて任せてつくってもらったそーです。死ぬときは誰にも迷惑をかけないって言っていて、本当にその通りに死んだひとです。
なんだか、これで伝わるのかどーか分かりませんが、とっても強烈です。でも、少しかっこよかったんです。
そして何よりも顔が長かったんです。みてください。完全にアイホンです。―
なかなか勢いのある文章で、ちょっと、目頭熱くなりました。
孫にとっての父は、なかなか魅力的ですね。
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