ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

さあ来た!さあ来い!

 

3月下旬から、心配事が群れを成して襲ってきた。

そんな時は、母の言葉を思い出そう。

「困ったことが起きたときにはね、さあ来た!さあ来い!負けるもんか!って言うのよ」

 

 

ひとつずつ事が治まり、落ちついて来たのが先週の半ば。

ある夜、疲れを感じて、早く布団にはいった。

ふと目が覚めたら、まだ夜中らしい。

長い夢を見ていたような気がして、暗闇で目を開けた。

壁に、外からの薄いあかりが細い線を作っていて、とゆうことは、あそこがまど?

あれ、どこに寝てるんだっけ?

私は今、ひとりなの?

あの窓のあかりはどこからはいってくるの?

頭はどっちを向いているの?

いるはずの人がいないような気がする。

誰だっけ。

その人はもういないらしい。

おかしい。

心の柱が音を立てて折れていく。

誰だっけ。

もういない。

いなくなってしまった。

みぞおちのあたりが熱い。

温かいお湯が胸の中に満たされていくような気がして、それは涙となってあふれてくる。

そうだ、お母さん、死んじゃったんだ。

あたたかくて、いいにおいだったお母さん、死んじゃったんだ。

 

 

私達の母は、人生の小さな、そして時に大きな困難や試練を真正面から受け止め、負けるもんかと乗り切ってきた。

私は能天気に育ててもらい、

妹に、

「お姉ちゃんは極楽とんぼ」と言われながら、

好きなように生きてきた。

伊豆の実家には、元気な両親が元気に暮らしていて、

いつでも全力で応援してくれる、そんな安心が当たり前の人生だった。

 

父が死んで8年、母が死んで2年半たった。

その前から、ちゃんと自立して家庭を営んでいるつもりだったけど、

心配事が重なると、寄る辺のない気持になり、母の

「さあ来た!さあ来い!」を思い出して自らを叱咤する。

 

母の最後の4年間、べったり介護をさせてもらった。

ケアマネ、訪問入浴、訪問リハビリ、訪問看護、訪問診療医、デイケア…うちに来てくれる人たちはみな、私を「おじょうさん」と呼んだ。

あの時私は、妻でも母でも主婦でもなく、娘だった。

「えらいわねえ」

なんて言われて、いい気分にもなっていた。

ぬくぬくと育ててくれて、最後には甘い介護もさせてくれて、

お母さんからもらったものが膨大で、

極楽とんぼな娘の私は、お母さんがいなくなって、本当にさみしいよ。

 

 

2012年 夏 母のダンス発表会にて 舞台化粧の母と私。

いつも明るい笑顔の人でした。

 

会いたいよ。

 

追伸:うちは、子供が生まれて以来夫婦別寝室です。

 

 

 

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