3月下旬から、心配事が群れを成して襲ってきた。
そんな時は、母の言葉を思い出そう。
「困ったことが起きたときにはね、さあ来た!さあ来い!負けるもんか!って言うのよ」
ひとつずつ事が治まり、落ちついて来たのが先週の半ば。
ある夜、疲れを感じて、早く布団にはいった。
ふと目が覚めたら、まだ夜中らしい。
長い夢を見ていたような気がして、暗闇で目を開けた。
壁に、外からの薄いあかりが細い線を作っていて、とゆうことは、あそこがまど?
あれ、どこに寝てるんだっけ?
私は今、ひとりなの?
あの窓のあかりはどこからはいってくるの?
頭はどっちを向いているの?
いるはずの人がいないような気がする。
誰だっけ。
その人はもういないらしい。
おかしい。
心の柱が音を立てて折れていく。
誰だっけ。
もういない。
いなくなってしまった。
みぞおちのあたりが熱い。
温かいお湯が胸の中に満たされていくような気がして、それは涙となってあふれてくる。
そうだ、お母さん、死んじゃったんだ。
あたたかくて、いいにおいだったお母さん、死んじゃったんだ。
私達の母は、人生の小さな、そして時に大きな困難や試練を真正面から受け止め、負けるもんかと乗り切ってきた。
私は能天気に育ててもらい、
妹に、
「お姉ちゃんは極楽とんぼ」と言われながら、
好きなように生きてきた。
伊豆の実家には、元気な両親が元気に暮らしていて、
いつでも全力で応援してくれる、そんな安心が当たり前の人生だった。
父が死んで8年、母が死んで2年半たった。
その前から、ちゃんと自立して家庭を営んでいるつもりだったけど、
心配事が重なると、寄る辺のない気持になり、母の
「さあ来た!さあ来い!」を思い出して自らを叱咤する。
母の最後の4年間、べったり介護をさせてもらった。
ケアマネ、訪問入浴、訪問リハビリ、訪問看護、訪問診療医、デイケア…うちに来てくれる人たちはみな、私を「おじょうさん」と呼んだ。
あの時私は、妻でも母でも主婦でもなく、娘だった。
「えらいわねえ」
なんて言われて、いい気分にもなっていた。
ぬくぬくと育ててくれて、最後には甘い介護もさせてくれて、
お母さんからもらったものが膨大で、
極楽とんぼな娘の私は、お母さんがいなくなって、本当にさみしいよ。
2012年 夏 母のダンス発表会にて 舞台化粧の母と私。
いつも明るい笑顔の人でした。
会いたいよ。
追伸:うちは、子供が生まれて以来夫婦別寝室です。
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