ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

私の昭和⑤ わたしには弟と妹がいます

昭和46年頃かな。

弟とわたし。

伊豆箱根鉄道に沿って広がる田んぼ。

春になると一面にピンクの蓮華が咲きました。

レンゲが田んぼの栄養になっておいしいお米ができる、と母が教えてくれたっけ。

カメラ越しに私たちを見つめる、片頬にえくぼを刻んだ母の横顔が浮かびます。

おなかには、妹がいた頃かな。

 

数年後。

妹もいます。

シロツメ草の原っぱ。

弟の面差しに妹の息子を見つけました。

 

母はよく、私たちを近場に連れ出してくれました。

修善寺サイクルスポーツセンターに行き、長女の私は財布を持たされ、

閉園時間に母が門の外に迎えに来たりしてました。

母の入場料は節約です。

仕事と家族7人のおさんどんの段取りをいつも考えていたことでしょう。

自分が母になって初めて、母の情熱と多忙を知りました。

 

約40年後の今、

私と弟はかろうじて交流あり。

私と妹は緊密。

弟と妹はほぼ交流なし。

 

 

死んだらまた父母に会えると信じることにしたので、その時に褒めてもらうために、長女として軌道修正なり、お膳立てなり、がんばってやらなければ。

 

 

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