昭和46年頃かな。
弟とわたし。
伊豆箱根鉄道に沿って広がる田んぼ。
春になると一面にピンクの蓮華が咲きました。
レンゲが田んぼの栄養になっておいしいお米ができる、と母が教えてくれたっけ。
カメラ越しに私たちを見つめる、片頬にえくぼを刻んだ母の横顔が浮かびます。
おなかには、妹がいた頃かな。
数年後。
妹もいます。
シロツメ草の原っぱ。
弟の面差しに妹の息子を見つけました。
母はよく、私たちを近場に連れ出してくれました。
修善寺のサイクルスポーツセンターに行き、長女の私は財布を持たされ、
閉園時間に母が門の外に迎えに来たりしてました。
母の入場料は節約です。
仕事と家族7人のおさんどんの段取りをいつも考えていたことでしょう。
自分が母になって初めて、母の情熱と多忙を知りました。
約40年後の今、
私と弟はかろうじて交流あり。
私と妹は緊密。
弟と妹はほぼ交流なし。
死んだらまた父母に会えると信じることにしたので、その時に褒めてもらうために、長女として軌道修正なり、お膳立てなり、がんばってやらなければ。
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