食べられなくなった時、選択肢が提示されました。
このまま枯れるか、経鼻胃管、胃ろう、点滴などで延命するか。
母の気持ちを知る術がなかったので、家族で話し合いました。
きっと母は枯れる方を選ぶだろう。
でも、私達はあきらめられない。
要介護5でも、会話や笑顔がある日があった。
てんかんの薬の副作用で意識レベルが低くなり、食べられなくなったのかもしれない。
薬を調整して、起きている時間を増やせば、また食べられるようになるんじゃないか。
往診の主治医は、月並みながら、ほんとうに寄り添ってくれる先生です。
枯れる選択はできない、
あきらめられない、
母の気持ちを考えると残酷なことをしているかもしれない、
でも、母に生きていてほしい、もう一度、頑張ってほしい!
感情失禁さながらに、先生に気持ちを吐露しました。
先生は、
「わかりました。お母さま、お幸せだと思いますよ、
皆さんの気持ち、伝わっていると思いますよ」と言ってくれました。
ありがたい言葉だと思いながら、
お母さんごめんごめんねごめんなさい、と心で謝りました。
あれから約4ヶ月。
てんかんの薬をギリギリの量に調整してもらい、
栄養状態は改善し、
目覚めている時間が少しずつ増え、
今や、1日に2回、軽い食事をとれるようになりました。
てんかん発作は、ときどき起こします。
そして、主治医から先日、
「前とは違う意味で、胃ろうをしたらどう?」との話がありました。
経鼻胃管を抜いたほうが、飲食は楽になるし、水分が難しければ胃ろうから水分と薬を入れたら、ということです。
胃ろうについては、いろいろな意見があるみたいです。
今回の母の胃ろう提案は、補助的な使い方ともいえると思います。
考え始めると、喉がカラカラになる事案です。
基本的に私が一人で介護を担っているので、
兄弟や家族は最大限私の意思を尊重してくれます。
だからまた、カラカラになります。
決めました。
胃ろうはせずに、来年、妹が帰国(おそらく春)したときに経鼻胃管を抜く。
その先に何があるのか。
まだわからないけれど、管を抜きたい。
母が、母の身ひとつで、息をして、食べ、飲み、眠り、どんな顔をしてくれるのか。
何かを言ってくれるのか。
私と妹とで、全力で介護して、母の言葉に耳をすませたい。
コロナのせいで、妹が来れなかったら、私一人でそれをやろうと思います。
娘達が助け、見守ってくれるでしょう。
来年の春、たぶん、花粉症の頃、経鼻胃管を抜く予定です。
やっぱ無理!!!ってなるかな。
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