5年前に78歳で亡くなった父の夢を見ました。
夕暮れ時、大きな月を見にベランダに出たら、
隣の部屋に灯りがついていて、父がこたつに入って座ってます。
ああ、お父さん、越してきたのね。
すぐに私は父の部屋を訪ねます。
隣だと思っていたら、表札の名が違っていて、その隣、またその隣、と捜します。
表札に「庭」と書かれた部屋があり、夢の中の私は、あ、ここだと確信します。
(庭の丹精に、情熱を注いだ父でした。)
ピンポンしたら、すぐに迎えてくれた父。
逆光でしょうか、顔が良く見えません。
私と入れかわりに、高須クリニックの高須克弥さんが部屋から出てきました。
(ツイッターをいつも見てます。会ったことはもちろんありません…)
父は見慣れた丹前を着ています。
奥に台所があって、食卓の上にはこんがり焼いて山椒をふったお醤油味の
鶏の手羽先が、キャベツの千切りの上にずらりと丸く並べてあります。
そんな夢でした。
父はよく、鶏肉の専門店までわざわざ行き、手羽先をたくさん買ってきて、コンロの前に立ちっぱなしで焼いてくれました。
夫が「あれはうまかったよな~」と今も言います。
いて当たり前の人がある日死ぬ。
でも、あそこに行けば会える気がしてならない。
目を閉じれば、生き生きとその人が動き出す。
爪の形や、歯並び、いつか手を握ったときの皮膚の厚みと温かさ。
幽霊になって出てきても全然こわくない。
父に話しかけたり、父の声を想像したり、そんなことを普通にしています。
癖の強い人だったので、外出したりするとホッとしてましたけどね、実は。
今、成城石井に行くと、父を思います。
というよりも、実家に行く前日の自分を思い出します。
父に何か珍しいもの、おいしいもの、を持っていこうと思って、
値札を気にせずに買い物するんです。
しかも、成城石井で!
それが、とても楽しかった。
父が半年の闘病を経て亡くなり、その2年後、母が倒れました。
父の不在に母を捉えたのは、悪性リンパ腫。
生活背景にリスク因子が見つかっていない病気の1つです。
その後3年かけて母はボケて、悲しみからも解放されたかなと思いきや、
先日、久しぶりに出た言葉は、
「おとうさん…」
まだなのね…
そんなに仲よくなかったけどね…
父が逝き、母が伏せ、私の人生はシンプルになりました。
日々が穏やかであれば、それでよし!
暑い日々は、こんなものを食べて過ごしています。
大粒梅干しと梨と西瓜。
冷たい蕎麦に、南蛮風のピーマンと鶏むね肉。たれには紫蘇・ごま・生姜をたっぷり。
イカボールと蓮根のきんぴら。トマトを入れてさっぱりさせたポテトサラダ。
母の大好きな卵豆腐。
梅干し、梨、シャインマスカット、無花果。
毎回、感動のクーリッシュバニラ!!
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