1日の夕方、私と娘達、画面越しの弟と妹に見守られて母は静かに息を引き取りました。
大げさでなく、年を越えた瞬間に、呼吸が変わりました。
それから約12時間、頻呼吸が続き、酸素を最大にしてなんとかその値を保ち、
午後に下顎呼吸が始まり、そこからは早かったです。
看護師さんと一緒に清拭と着替えをしました。
主治医が死亡宣告をしました。
すぐには涙がでません。
冷え始めて他人顔の母に触るのは、保湿クリームを塗るときくらい。
ともすれば、避けている。
これからの諸事万端が頭を圧迫しながらも、
襟元がうすら寒いのは悲しい解放感。
心配ではち切れそうな二つの顔を
目の端にとらえては、ハキハキと話し片づけをしていきます。
その日の夜遅く、
画面越しの妹と、娘2人と、少し落ち着いて母の顔を眺めた時、
ずっと赤剥けのままで、
触るとひりひりする私の心の一部が、
滂沱の涙と共に、こぼれ落ちました。
ずっとつらかった。
ずっとお母さん、かわいそうだった。
一度もよくならなかった。
いい事は少ししかなかった。
一度だけ、死にたい?と聞いた。
既に母は心を失っていて、返事ができないことを知っていて、聞いた。
妹は、
いい時もあったじゃない。みんなで旅行にも行ったし。
お母さん、気持ちよさそうに歌っていたし。
あんなこともこんなことも、と必死に食い下がる。
娘達はポロポロ泣いている。
つらかった、かわいそうだった、と繰り返す私に、
私にはわからない、ごめんなさい、
私にはわからない、そこに居られないから、わからない。
怒ったようにそう言って、妹は黙った。
ひとしきりつらい涙を放出して、
何かの拍子に笑いが起きて、
一度だけの私の告白を終えた。
妹と娘ふたり、この人たちだけに言える気持ちだった。
そのあと寝る段になり娘が、
○○ちゃん(私の妹)、わからないって言ったね。
つらかっただろうね、
えらいよね勇気あるよね、と言った。
それを妹に言ったら、土気色の顔で声をあげて泣いた。
これからは、お母さん幸せだったね、と言ってもらえる優しさに甘えよう。
キラキラした母との思い出をつづっていこう。
そう思っています。
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