ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

これからも母と共に

1日の夕方、私と娘達、画面越しの弟と妹に見守られて母は静かに息を引き取りました。

大げさでなく、年を越えた瞬間に、呼吸が変わりました。

それから約12時間、頻呼吸が続き、酸素を最大にしてなんとかその値を保ち、

午後に下顎呼吸が始まり、そこからは早かったです。

 

看護師さんと一緒に清拭と着替えをしました。

主治医が死亡宣告をしました。

 

すぐには涙がでません。

冷え始めて他人顔の母に触るのは、保湿クリームを塗るときくらい。

ともすれば、避けている。

これからの諸事万端が頭を圧迫しながらも、

襟元がうすら寒いのは悲しい解放感。

心配ではち切れそうな二つの顔を

目の端にとらえては、ハキハキと話し片づけをしていきます。

 

その日の夜遅く、

画面越しの妹と、娘2人と、少し落ち着いて母の顔を眺めた時、

ずっと赤剥けのままで、

触るとひりひりする私の心の一部が、

滂沱の涙と共に、こぼれ落ちました。

 

ずっとつらかった。

ずっとお母さん、かわいそうだった。

一度もよくならなかった。

いい事は少ししかなかった。

一度だけ、死にたい?と聞いた。

既に母は心を失っていて、返事ができないことを知っていて、聞いた。

 

妹は、

いい時もあったじゃない。みんなで旅行にも行ったし。

お母さん、気持ちよさそうに歌っていたし。

あんなこともこんなことも、と必死に食い下がる。

娘達はポロポロ泣いている。

つらかった、かわいそうだった、と繰り返す私に、

私にはわからない、ごめんなさい、

私にはわからない、そこに居られないから、わからない。

怒ったようにそう言って、妹は黙った。

ひとしきりつらい涙を放出して、

何かの拍子に笑いが起きて、

一度だけの私の告白を終えた。

妹と娘ふたり、この人たちだけに言える気持ちだった。

 

そのあと寝る段になり娘が、

○○ちゃん(私の妹)、わからないって言ったね。

つらかっただろうね、

えらいよね勇気あるよね、と言った。

それを妹に言ったら、土気色の顔で声をあげて泣いた。

 

 

これからは、お母さん幸せだったね、と言ってもらえる優しさに甘えよう。

キラキラした母との思い出をつづっていこう。

そう思っています。

 

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