平野啓一郎さんの「決壊」に、
「親死に、子死に、孫が死に」という言葉が出てきました。
調べると、
ある檀家の主人に、掛け軸に何かめでたい言葉をと頼まれて一休禅師が書いた言葉だそうです。
檀家の主人は怒ったけれど、
「順番に老いて、順番に死んでいくことほど幸せなことはない」
と、一休さんは言ったんですって。
先日、オンライン聴講を初体験しました。
「グリーフケア 喪失の悲しみと「今」を生きるために」
というテーマです。
大切な人を失った人悲しみや悔しさに荒れ狂う心を「時化(しけ)」と呼び、少し落ち着いた時の心を「凪(なぎ)」として、その揺れ動く心に共感しながら、また立ち上がり前に進むよすがとなることを提案する、そんな内容でした。
よすがとなるのは、
人に心のうちを聞いてもらったり、
文章にしてみたり(読み返さなくてもいい)、
絵を描いたり、
思い出の品を入れる箱をつくったり、
写真や、遺骨、遺品をいつもバッグにいれたり身につけたり、
祈ったりすること。
気を紛らわせたり、時には時化に身をゆだねたり。
自然を味わい、五感の存在を確認したり。
同じような経験をした人の話をきいたり、本を読んだり。
眠ったり食べたりを楽しめるように工夫したり、
努めて外とのつながりを持ったり。
誰とも比べず、焦らず、ゴールはないけど、変化はあると信じて。
途中、講師の方が、
「ふれられる次元で大切な人がいない」と言いました。
なんてあたたかい。
母はいる、ずっといるけど、今ここにはいない。
講演が終わって、質疑応答になりました。
迷わず、弱音をぶつけてみました。
オンラインだと顔も見えず、マイク持たされることもなく、キーボードを乱打するだけです。
「2ヶ月前に母を亡くしました。心配してくれる家族や友達に恵まれているのに、どこに行っても母と来たかった、何を見ても母と見たかった、なぜなぜなぜと、駄々っ子のような自分が立ち現れて持て余します。いっそのこと、母だけを思う旅に出ようかと思ったりもしますが、母が「やめてよ、あなたはあなたの人生を生きなさい」と言うようで思いとどまります。こんな気持ちがいつかやわらいでいくものでしょうか」
送信。
講師の先生、ゆっくりと考えながら、答えてくれました。
「2ヶ月なら、まだ時化の只中だと思います。本当に大切な人をなくされたんだなと、伺いながら思いました。お母さまを思うだけの旅に出ようと思うと、やめてよ、というお母さまの声が聞こえる、あなたの中には、お母さまの存在がしっかりあるんだなあと思います。そんなふうに、あなたの中のお母さまと対話しながら過ごして行かれるんだと思います。そして、きっと、お心の持ちようも変化していくと思うし、ごくごく、自然なことだと思います。変わらないことは、お母さまとの絆だと思います。それはずっと変わりません。大切なお母さまだったんですね。」
オンライン聴講だと、声あげて泣いても恥ずかしくない。
こんなのあるよ、とこの講演会を教えてくれた友達に感謝。
そんな友達の存在もまた、心強いグリーフケアです
思い立って、以前からやろうと思っていたことをしました。
遺骨の前の写真立てをこれにしたんです。
イギリスのアンティーク。
側面には古い詩の一節が刻まれ、虫ピンで写真を固定します。
娘達の手が離れ、父が倒れるまでの数年間、月に1度は必ず行くと決めて、両親の住む実家に行ったものです。
両親が元気で、いつ行っても喜んでくれて、泊まっていけとは言わずにお土産をたくさん持たせてくれる。ほんとにありがたいな、と思っていました。
これはいつまでも続くわけではない、というおそれがあったような、今思えばそんな気がします。
その頃の、元気ではつらつとしていた2人の写真にしました。
桃の花が咲き始めました。
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