ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

誰もいない日

今日、夫は仕事→飲み会。

娘たちは来ない。

私は朝からずっと在宅ワーク

妹とはちょっと気まずいことがあって、話をしていない。

ひねもすひとり、@ホーム。

 

夕方5時。すっかり暗い。

お夕飯、何を食べようか。

 

冷凍してあった牛ひき肉を生姜と炒めて、

残り野菜をざくざく切って、

味付けは、鶏ガラ顆粒とお醤油。

片栗粉でとろみをつけて、雑穀ごはんにかけました。

おいしいじゃん!

紅生姜はいらなかったな。

 

 

 

 

 

台所を片付けたら、

明日の為に、きれいな人参をぬか床に沈めます。

 

 

父が亡くなってから約2年、母はひとりで、伊豆の家に暮らしてました。

そして、こんな風に毎日自分のご飯を作っていたのよね。

夜はやっぱり、よけいにさみしかっただろうな。

実家の居間で、

大きな窓の向こうにお父さんの庭が黒く広がっていて。

雨戸を早めに閉めるって言ってました。

父が亡くなるまで、母は2階で父は階下で寝ていたんだけど、

父がいなくなってからは、母は2階で眠れなくなっちゃって。

「お父さんが下にいる音が聞こえる」なんて言って。

下の畳の部屋で寝ていました。

あの頃すでに、悪性リンパ腫が発病していて、

倒れる原因となった脳転移の腫瘍がだんだん大きくなっていて、

今思えばなんだけど、

「ザーッと引きずり込まれるように眠りに落ちる」って言っていて、

あれは脳の腫瘍のせいだったのかな。

体の異変を母は感じ取っていたんですね。

でもそれを、何かの病気につなげて考えることはできなかった。

倒れてから4年。

つきっきりだった私に、母は一度も、

「あなた、家のことはいいの?早く帰んなさい」と言わなかった。

つまり、倒れる前の母に戻ることはなかったのです。

私にとってそれは、本当にありがたいことでした。

どれだけボケても、わからなくなってもいい。

ただただ、私に甘えてほしい。

私の姿が見えなくなると、途端に不安な顔になる、そんな母で本当によかった。

「迷惑かけてごめんね」なんて言われたら、すごく困る。

私は母といられて、とても幸せだったのだから。

 

なんてことをツラツラ考えながら、玄米雑穀ごはんを仕込んで、もう寝ます。

氷水だと、おいしく炊けるような気がします。

(雑穀を入れたのは失敗でした。玄米に入れるなら小豆でした。)

おやすみなさい。

 

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