今日、夫は仕事→飲み会。
娘たちは来ない。
私は朝からずっと在宅ワーク。
妹とはちょっと気まずいことがあって、話をしていない。
ひねもすひとり、@ホーム。
夕方5時。すっかり暗い。
お夕飯、何を食べようか。
冷凍してあった牛ひき肉を生姜と炒めて、
残り野菜をざくざく切って、
味付けは、鶏ガラ顆粒とお醤油。
片栗粉でとろみをつけて、雑穀ごはんにかけました。
おいしいじゃん!
紅生姜はいらなかったな。
台所を片付けたら、
明日の為に、きれいな人参をぬか床に沈めます。
父が亡くなってから約2年、母はひとりで、伊豆の家に暮らしてました。
そして、こんな風に毎日自分のご飯を作っていたのよね。
夜はやっぱり、よけいにさみしかっただろうな。
実家の居間で、
大きな窓の向こうにお父さんの庭が黒く広がっていて。
雨戸を早めに閉めるって言ってました。
父が亡くなるまで、母は2階で父は階下で寝ていたんだけど、
父がいなくなってからは、母は2階で眠れなくなっちゃって。
「お父さんが下にいる音が聞こえる」なんて言って。
下の畳の部屋で寝ていました。
あの頃すでに、悪性リンパ腫が発病していて、
倒れる原因となった脳転移の腫瘍がだんだん大きくなっていて、
今思えばなんだけど、
「ザーッと引きずり込まれるように眠りに落ちる」って言っていて、
あれは脳の腫瘍のせいだったのかな。
体の異変を母は感じ取っていたんですね。
でもそれを、何かの病気につなげて考えることはできなかった。
倒れてから4年。
つきっきりだった私に、母は一度も、
「あなた、家のことはいいの?早く帰んなさい」と言わなかった。
つまり、倒れる前の母に戻ることはなかったのです。
私にとってそれは、本当にありがたいことでした。
どれだけボケても、わからなくなってもいい。
ただただ、私に甘えてほしい。
私の姿が見えなくなると、途端に不安な顔になる、そんな母で本当によかった。
「迷惑かけてごめんね」なんて言われたら、すごく困る。
私は母といられて、とても幸せだったのだから。
なんてことをツラツラ考えながら、玄米雑穀ごはんを仕込んで、もう寝ます。
氷水だと、おいしく炊けるような気がします。
(雑穀を入れたのは失敗でした。玄米に入れるなら小豆でした。)
おやすみなさい。
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