ダージリンママ介護日記

要介護5の実母79歳を介護した娘の日記 その後

残り物で豪華な献立からの、弟のこと

 

月曜日の朝。

じめじめしていて、ぬる暑い。

熱い緑茶を入れて覚醒しよう。

 

 

朝ごはんです。

 

週末の残り物を並べたら、豪華な朝ごはんになった。

漬かり過ぎたぬか漬け。

ピーマン焼きびたし。

ハンバーグ。

白米。

小松菜・豆腐・油揚げの味噌汁。追い小松菜あり。

 

さあ仕事だ(在宅)、やる気がでない。

そんな時、思い出すことがある。

 

 

小学生の頃、学校で親の職業を問われることがあって、

ほとんどみんなが、「会社員」と言っていたので、うちも会社員ということにした。

うちは、自営業だった。

 

3つ下の弟は高校卒業後、数年勤めてから父の会社に入社した。

その後、弟が30代中頃かな、その頃に母が語った弟の言葉を思い出す。

 

「朝起きて一度も、今日がんばろうって思ったことがない」

 

癖の強い父と、我慢強い母。

父は、情は深いが舌鋒鋭く、人を非難する時は的を得てきつい人だった。

そんな父との衝突や、小さな会社での閉塞感。

商売は順調だったが、弟は父と向き合い、たくさん苦い思いをした。

 

その、弟の言葉について母と話したことはそれ以来ない。

母には十分、重い言葉だったと思うし、

それに至った弟の日々についても、私の理解は及ばない。

 

 

やる気が出ない朝、あの言葉を言った弟を思い、

それを胸に生きた母を思う。

 

弟について父が語った言葉を一つ、覚えている。

「あいつは一生懸命、まじめに働く」

 

いつだったか、弟が、

「夫婦二人の店で、今日焼いたパンが売り切れたら今日は終わり。そんな商売に憧れる」

と言ったことがある。

両親と共に、そして、両親の引退後も、従業員を抱え重責を担ってきた。

 

 

 

病魔に倒れる少し前、母に聞いてみた。

「一番しあわせだった思い出ってなに?」

「そうねえ。お父さんと○○○(弟)と3人でベンツを取りに行った日かな」

 

ずっと中古車を乗り継いできたけれど、

弟が入社して売り上げが伸びて、

初めての新車、それもメルセデスベンツ

背伸びだったけど、思い切って買ったんだよね。

業務用のハイエースに3人で乗って、ハイエースをディーラーに一晩置かせてもらっ

て、3人でベンツに乗って帰ってきた夜。

母の、輝ける、最も幸福な思い出。

 

 

まだ、この話は弟にはしていない。

なぜしないか。

それは、私が意地悪だからです。

いつか言います。

 

弟。遠くて近いようで、やっぱり遠くにいる。

そんな人。

 

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